平泉展  自然を想う新世紀芸術
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ウエルネスライフを求めて〜21世紀の絵画に求められるもの〜 小河原奈緒子

 

平泉会学芸員 小河原奈緒子

詩人金子みすずの「私と小鳥と鈴と」という詩に「みんなちがってみんないい」と
いう一節がある。

近年、いじめの防止や個性を認め合うことで、思いやりの心を養うという教育目標
として、この詩を掲げている学校もある。
では、個性を認める事とはどんなことだろうか?近頃の絵画にも個性という名の下
に、道を見失いかけている傾向がみられるようになった。

ここで美術の歴史を振り返ってみよう。原始美術にも見られるように、もともと
人は描きたいから描いていたようだ。ところが、古代文明と共に@宗教的、呪術的
な意味を持つものや、A権力者の権力誇示、B写真代わりの記録と説明、という様
に何かの意味をなす物に変化していく。やがて注文どおりの作品を作る職人の時代
を経て、ルネッサンス以降、画家という職業が誕生する。写真の誕生する19世紀
に入り、ようやく印象派の運動と共に「心の表現」「自己の表現」としての絵画が
見直される。20世紀にはこうした考え方がより勢いを増し、めまぐるしく新しい
絵画活動が現れる。もはや絵のなかでは収まらず、また個人の主義主張が強すぎて、
鑑賞者もついていけなくなった。

さて、現代から未来へ向かう21世紀の絵画はいかなるものか?
それは、おそらく原点に戻り絵を描くこと自体の価値をみいだすことだろう。
画家だけが絵を描くのではなく、誰もが健康な心と体を養うための手段として、
「絵を描くこと」が切望される。
これこそが、ウエルネスライフを求める現代人のステータスだ。

以上の事を理解すれば、絵画というものは競ったり採点できるものではないことは、
明白だ。
記憶に無いほど幼い頃、初めて画具を握ってグルグル描いた時の感動は、誰もの心
の奥に必ず眠っている。わたしは、子ども達のあの驚きと喜びに満ちた眼差しを見る
度に、いつまでもその心の輝きを持ち続けることを願っている。同時に、冒頭に記し
た「個性を認め合う思いやりの心」を養うのに、有効な手段であると確認している。

なぜなら、純粋に描くことに感動を覚えた時、それは楽しく美しい表現になり、健や
かな心と体の育みへ導くからだ。観る人も心地よくて、優しい気持ちになるだろう。
また喜びや感動を共感したり、明るく元気にもなるだろう。
即ち、個人の表現は、他人を傷つける事をしてはいけない、それは同時に自分や自分
の愛する人を傷つけて悲しませることなのだ。

多くの人が一日でも早くこのことに気付き、お互いを認め合い優しく健全な心と体
を養う手段として、絵を描くことを勧めたい。それと共に、誰もが幸せに暮らせる世
界をねがっている。

 
 
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